「おと・な・り」~3つめの意味~

おと・な、になるということ。。。

映画『おと・な・り』。。。

恵比寿ガーデンシネマでの先行上映が始まって、早1ヶ月以上。
先行上映初日に初見、そして、6月初旬に映画好きの友人を連れて、また恵比寿へ赴いていた。

映画館のロビーに展示されている、映画の撮影に使われた小道具。
初日の時から展示品が微妙に変わっているようだった。主人公二人の衣装もあった。

友人は、私と同年代の女性。
観ながら、涙しているような感じだった。
「kiyonaさんは、泣かないでしょ」と言われた。
そう、確かに私は、初見の時から泣いてはいない。
『親指さがし』は、何度観てもラストで号泣だったけど。
すごく良い作品だと思うけど、きっと邪念が入るんだと思う。
何と言うかそのー、親指さがしの面影を追い求めてしまうと言うか。
それかまたは、ファン目線で岡田くんの演技を注視してしまうと言うか。

「親指さがし」は単館上映から始まって、じわじわ全国区になるまでタイムラグがあったので、最終的に最後の上映館で上映終了になるまで、およそ3ヶ月位ロングランしていた。
「おと・な・り」は、早めの全国展開が決まったので、そろそろ客足も落ち着いてきたところか。
大ヒット御礼をしたくせに、その映画館でその週の金曜日で上映終了というのも納得がいかない話で。

一般ウケするテーマじゃないと思われるが、やふーのれびゅーは、ルーキーズより高いという評価。
つまり、テーマ的に観ようと思う人は限られているが、観た人の多くの期待を裏切らないという作品。


多くのひとの心に触れるのは、表現が押し付けがましくないからだと思う。
それはちょうど、「明日の傘」が何となくウェディングソングであるかのごとく。

いろいろと、細かいことが、良い意味でいわゆる説明不足。
ニュアンスを匂わせる。ヒントを散りばめる。過去を示さず、現在だけを追う。
そこそこに散りばめられているピースを丁寧に拾い集めて、心の中でパズルを完成させる。
どこかのピースを拾い損ねると、何となく腑に落ちなかったり、居心地の悪さを感じたりする。

でも、そこがいい。。。

完璧に全てのピースを拾う必要なんかない。
自分なりに、自分にとっての大切なことを、拾えばいいのだ。

主人公を自分と重ねてしまう人には、かなりグッと来るものがあるだろうし。
そうでない人にとっても、ひとつの“出会いのミラクル”へのほのかな憧れが心地良い。


「おと・な・り」には、3つの意味がある。

1.お隣さん
2.音が鳴る
3.大人になる

・・・と言うのを、実はズームインで初めて知った。
それまで、初めの二つの意味しか把握していなかったのだ。
きっと、どこかの雑誌等には書かれていたのかも知れないが。

3つめの意味に因んで、“大人になったと思うこと”をVTRでコメントしていた。
いや、映画で表現する“大人になる”と言うのは、そういうことじゃないだろう!とか思ったりもしたが。


思い描く夢、理想の自分の生き方と、現実の自分の生活には必ずどこかギャップがある。

意識にあげることを無意識に拒んでいるけれど、実はそうすることで脆くなる自分が怖い。
向き合うか、受け入れるか、逃げるか、無視するか、飛び込むか、ぶつかるか、流すか。

そこには、正解はない。

おと・な、になるということは、そういう自分を垣間見ること。。。