止まったやつは切り捨てられる。。。

“止まったやつは、切り捨てられるんだろ?”
その言葉が、胸に突き刺さる。そう、それが現実。。。

『Endless SHOCK』
有りそうで無い、無さそうで有り得る話である。
その悲劇の始まりは、優れた者への嫉妬とほんの少しの誤解からだった。

“コウイチの走る勢いで、俺たちはつながって行けたんだ。”
そう言われて、ツバサは答える。
“止まったやつは?止まったやつは、切り捨てられるんだろ?”と。

その言葉が、胸に突き刺さり、頭の中から離れない。
そう、それが現実。。。悲しいかな、現実である。
優秀な者への嫉妬と、劣等感による自己の存在への不安、それが悲劇を生む。
決して突飛なストーリーではない。どこにでも転がっている、そんな気がする。

止まる必要も無く、いつも前向きに突っ走ることが出来る者には、
時には立ち止まりたい人間の、疲弊した心を理解することが難しい。
理解出来ない?それとも、理解しようとしていない?

優秀な学校出身の、頭脳明晰な教師がいる。
でも、必ずしも、良い教師になるとは限らない。
何故なら、優秀な人には、“生徒はどうしてこれが理解出来ないのか”ということが、身をもって理解出来ないからである。
だから、一緒に突っ走れる生徒しか見ない。
どうして立ち止まっているのかと、走れない生徒にイライラしている。
そして、社会から切り捨てられること・自己を否定されることへの不安でいっぱいな、生徒の心の奥にある苦しみを理解しない。

問題のひとつに、子供は人生経験が未熟であるが故に、経験豊富な大人と同じビジョンで将来を見据えることが出来ないことがある。
教師は、諭すこと全てを、生徒が理解出来ると思い込んではいないだろうか。
自分の生きてきた年月のまだ半分位しか人生を経験していない者に、あなたのビジョンが全てそっくりそのままイメージ出来ると思い込んではいないだろうか。

馬車馬のように、立ち止まることなく突っ走れる生徒がいることも、また事実。
その突っ走れる若者は、やがてあなたのように優秀な人材となり社会に出た時、社会はその他大勢の突っ走ることが出来ない人々で、主に構成されていることに気付くだろう。
その時彼らは、疲れた心を抱えた人々を友を、本当に思いやることが出来るのだろうか。

どんなにか頑張って踏み出した一歩だったのに。。。
どうして、その心を踏みにじるのだろう。。。


心の教育を忘れている。。。
相手を思いやる、相手の気持ちになれる心を教えることを、教師は忘れている。。。
純粋で弱いものを切り捨てながら成長する学校は、大切な心の教育も切り捨てている。。。
もしかしたら、大人も成果主義の世の中を生き抜くために、大切な心を失っているのかも知れない。。。